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この日より 〜 2004年9月 〜

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二〇〇四年九月二十六日 日曜日
朝から中3の4回目の社会であった。自由参加ではあるが、だいたいいつも4分の3ぐらいの出席だ。
夕方5:00過ぎ頃から、お手製ベンチに谷口先生(8期)と1回目の色をのせた。日没が早くなったことを痛感した。

二〇〇四年九月二十五日 土曜日
各小学校の運動会、バレーやハンド部の試合、中3は、実力テストを27日にむかえ、朝から勉強に来る。スタッフは、班に分かれ、それぞれ配置される。夜も普通に授業はあった。大忙しの一日である。私は、今年、バレーの試合と中3の実力対策にあたった。小学校の運動会に行かなかったのは、初めてのことである。いつもと違うことをするのは、勇気がいる。後味も何かしら不安めいたものがある。しかし役割や、先駆を手がけるのには、致し方ないものなのだろう。

二〇〇四年九月二十四日 金曜日
作った。何ヶ所かは、「もっとこうしとけばよかったな」というのはあるものの、安い材料とかけた時間の割には、4人掛けのしっかりしたものができた。子ども達も何人か腰をかけて、「いい」と言ってくれる。何よりも嬉しい言葉である。後は、オイルステンで色をのせようと考えている。
28日がお月見。子ども達がベンチに座って月明かりのもと、くつろいでいる姿を思いうかべて1人にやついている俺である。

二〇〇四年九月二十三日 木曜日
既製品のベンチを買ってきて組み立ててみた。休憩や昼、夕食時に、前の地面にベタッと座る子が多い日々が私にそれを作らしめた。外でベンチに座るというのはなかなかいい。味をしめて、明日は、既製品ではなくすべて手作りでベンチをも一つやってやろーと思う。

二〇〇四年九月二十日 月曜日
敬老の日。私には、健在の祖父母はいないので、墓参りをしてきた。今、ここに私がいる感謝の気持ちと、やはり未来洞のことをしっかり伝えてきた。皆は、敬老の日、何を孝行したのだろうか。聞きたいものだ。

二〇〇四年九月十八日 土曜日
南中学校の文化祭。以前(5,6年前まで)は自由に出入りができ、子ども達のいきいきとした姿をみることができたのに、最近は、おいそれとは入れない。地域の人々に普段の校内の文化的活動をみてもらう主旨はどこへいってしまったのか。残念で仕方がない。

二〇〇四年九月十四日 火曜日
公私共に忙しい日々が続いている。私にお見合いの話がきたり、新教室の融資や物件のことで走り回ったり……生きていることの喜びは悩めることにあり…と以前に書いたことがあったが、私個人の勉強もやっていると、悩んでいる暇がない。
ここ一年で未来洞はずいぶんと組織化した。日々、子ども達と泣き笑いしていた頃が懐かしく思える。十七年目まさに走っている未来洞の中で、ふと……だな。

二〇〇四年九月十二日 日曜日
中3は朝から五ッ木模擬テストを受けに行った。中3全員が、いくつかの目的をもって未来洞から受けに行く。もちろん費用は未来洞がもつ。これも15年ほどやってきた伝統のようなもの。今年ははじめて奈良育英高校での受験となる。私も朝、近鉄奈良駅で皆を待ち受ける。チェックのためである。

二〇〇四年九月十一日 土曜日
今年も始まった。中3の社会のお手伝いテスト。先週の日曜日に次いで今日が2日目である。入試まで毎週日曜日か土曜日かにやっていく2学期からのテスト。8年目である。名物となった。朝9:30から始まる。終了時間は個人で違う。得意、不得意。記憶力や理解力が皆異なるからだ。覚えの悪い者は、夕方の6時頃まで。早いものは昼までに帰る。しかし、皆到達点は同じである。ぜひ頑張って参加することや。

二〇〇四年九月九日 木曜日

葬式だった。人、1人の歴史は、以外と知られない。私も初めて知った彼の偉業に今日、驚き感動した。今日だからこそ、なおのことかもしれない。

窓をあけ 肌にしみいる 秋の風

彼の今際(いまわ)の句である。
私は死して名を残せるだろうか。人間が最後に経験するのが“死”。やからなあ〜


二〇〇四年九月八日 水曜日
“栴檀(せんだん)は二葉より芳(かんば)し”という言葉がある。小学校にあがりたての頃、私の才能を見抜いてくれた厚主喜太郎氏のお通夜に行ってきた。彼は私の祖母の弟にあたり、交野市に莫大な農園をもつ地主であった。自慢である。何が自慢であるかと言えば、私の才能のことや、彼の富では毛頭ない。子どもの才能を見抜ける人を祖先に持ったこと、その血が私にも流れていることが誇りなのである。

二〇〇四年九月七日 火曜日
日記の再記である。毎年かわらぬ夏休みも無事終了し、2学期が始まって、1週間が経つ。
ところで、話はかわるが、相継ぐ大きな台風や、断続地震など、天変地異とでも言おうか、自然の変化に少々驚いている。そして、その前にさらされた人間の無力さを痛感した。我がもの顔で闊歩してきた人類に地球のしっぺ返しが、そろそろきたのかなあ〜。

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