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この日より 〜 2004年5月 〜
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- 二〇〇四年五月二十七日 木曜日
- 2年越しで未来洞の記念樹を植林する計画を今年こそは実現しようと、唐招提寺の住職に談判に行き、竹林寺の管理者にも頼んだが、やはり他人の土地(竹林寺境内)に植林する無謀は通らなかった。記念樹植林の夢が潰えることはないが、また実現は延びそうである。残念で堪らない。
- 二〇〇四年五月二十六日 水曜日
- 修学旅行シーズン。皆がお土産を買ってきてくれる。ありたがいことに、16年分がたくさんあつまって、どの時代のものか区別もつかなくなった。しかし、今では社会人になってるOB達の土産を買ってきてくれた当時の笑顔だけは、私の脳裏にパノラマのように残っている。
- 二〇〇四年五月二十一日 金曜日
- 外の工事(外壁はりかえなど)にとりかかって一週間以上がすぎた。3期生で大工になった佐々木に手伝ってもらってのスタッフの手によるものである。生徒諸君は気づいてるか?トイレの内装も多少変化をみせた。まだまだ続く。しかし、全て君達が快てきに未来洞ですごせるための配りょであることを忘れないでほしい。
- 二〇〇四年五月十六日 日曜日
- 中学3年生の中に二人、柔道をしているものがいて、その試合が今日あったので観戦してきた。俺も、学生時代、柔道が好きだったので高校の頃から使ってた柔道着が残っていないか帰って探してみた。すると、探し物は見つからす、12年前に他界した親父の遺品が多く出てきたのである。スーツやモーニング、防寒具、浴衣などの衣類には、袖を通してみて驚いた。色調といい、サイズといい、今の俺がちょうど着れるのである。親父がこれを着ていた年令に俺もなったのか・・・と、言葉では表現できない気持ち、どちらかと言えば、プラス(嬉しい)方向だ。そしてすぐその後、いたたまれなくなった。親父ともっと「あーしとけば良かった」とか「こんな話を聞いとけば・・・」とか後悔の念に涙しそうになったが親父の口癖「男が涙を見せるのは親が死ぬときだけや」通り堪えることができた。
未来洞生全員およびOB全員に告ぐ。親孝行せよ!
- 二〇〇四年五月一五日 土曜日
- 未来洞野球部第一回めの練習日。AM6:00からの早朝練習であった。井出山にて。割とメニューは充実していた。
- 二〇〇四年五月九日 日曜日
- 今年卒業した高校3年(今は皆、大学生だが)とスタッフとで、ふれあいセンター(ここにも、未来洞のOBがいる)にて、カレーづくり。そのあと、スポーツにいそしんだ。そのあと、何を思ったのか未来洞野球部が発足したやうだ。
- 二〇〇四年五月三日 月曜日
- 南中女子バレ、大中女子ハンドで得た感涙をここに表現できない私の文章のつたなさがくやしい限りである。
スポーツで勝ちをめざして戦うことがかくも美しいものなのかと、見に行っていたスタッフ全員が我を忘れて応援に没頭した。
ほんとうにすばらしい戦い。まさに歴史にのこる少なくとも私の記憶には鮮烈にのこる。
- 二〇〇四年五月二日 日曜日
- 北大和グラウンドで野球観戦。
春日中で大中・南中バスケ、女子ハンドととにかく観戦につぐ観戦の感動が私をつつんだ。あー幸せ。
- 二〇〇四年五月一日 土曜日
- 部活動の公式戦がたくさんつまってきた。朝7:00からアスカコートまでテニスを見に行き、つかれた。
さらにかつての卒洞生(旧スタッフ)もきた。